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山口地方裁判所下関支部 昭和42年(わ)141号 判決 1968年1月12日

被告人 福嶋竹義

主文

被告人は無罪。

理由

本件公訴事実の要旨は、

被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和四二年四月二三日午前一一時三〇分頃、軽四輪自動車(六山め八七〇六号)を運転し、豊浦郡豊浦町大字川棚字向下村の幅員約七・七米(有効幅員五・七米)の道路を川棚町方面から松谷方面に向け時速約四〇粁で進行中、進路前方の道路右側を同方向に向け歩行中の宮崎千代枝(五六才)外一名を認めていたが、その左側方を進行するに際し、同女等の動静を注視し十分な間隔を保つて滅速進行し事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務を怠り漫然同一速度で進行した過失により、右宮崎千代枝が自車進路に近接しているのを約三・七米の距離で認め、左に転把急制動したが及ばず、自車右前部を同女に接触転倒させ、よつて同女に対し頭蓋骨々折の傷害を負わせ、右傷害により同日午後一時三〇分頃山口県豊浦郡豊浦町大字小串一三八、国立療養所山口病院において死亡するに至らしめたものである。

というにある。よつて審按するに司法警察員作成の実況見分調書二通、<中略>を綜合すれば、被告人は自動車運転の業務に従事している者であるが、昭和四二年四月二三日午前一一時三〇分頃、軽四輪自動車(六山め八七〇六号)を運転し、山口県豊浦郡豊浦町大字川棚字向下村の幅員約七・七米(有効幅員五・七米)の道路を川棚方面から松谷方面に向け、時速約四〇粁で進行中、宮崎千代枝(当時五六年)に自車右前部を接触転倒させ、よつて同女に対し頭蓋底骨折の傷害を負わせ、右傷害により同日午後一時三〇分頃同町大字小串一三八国立療養所山口病院において同女が死亡するに至つたことが認定できる。

よつて右事故は被告人の業務上の過失によつて生じたものであるかどうかについての検討をする。

前掲各証拠並びに証人松田キヨ<中略>を綜合すれば、次の事実が認定できる。

一、道路及び交通等の状況

1、本件事故現場付近の道路は速度制限のない有効幅員五・七米砂利道で、数百米に亘り見透しのよい直線道路であり、道路両端には手拳大の小石が多数散在していてその部分は自動車の通行が困難であること

2、当時同所付近の道路を通行していた車や人は他にはなかつたこと

3、当時は秒速六、七米の西北西の風が吹いていたが、被害者等の位置は自動車の通過によつてまき起こされるほこりに対しては所謂風上であつたこと

4、接触地点は被害者等の進行方向に向い道路中央線より約〇・八五米左側によつた地点で、被害者が道路中央に向け出ようとした位置から約二・二米左斜前であつたこと

二、被告人の行動

被告人は車幅一・二九米の軽自動車(マツダB三六〇、ライトバン)を運転し、右道路を川棚方面から松谷方面に向け時速約四〇粁で進行中、前方の道路右側を同一方向に向け並んで歩行中の被害者外一名の婦人を認めたが、同人等が道路中央に向つて出て来る気配はなかつたので、そのまま前進するものと思い、その左側方を一米の間隔をおいて通り抜けようと考え、同一速度のまま道路左側の中央部分を進行していた(昭和四二年四月二四日付実況見分調書)ところ、被害者等の後方五米位に接近した際急に被害者が道路中央に向つて小走りで出て来るのを認めて危険を感じ、急停車の措置をとると共に把手を左に切つて衝突を避けようとしたが及ばず、自車右前部を同女に接触させたものであること

三、被害者並びに同伴者の行動

被害者及び同伴者西井スエ子(当五六年)は本件事故現場付近の道路右側を西井が右端被害者がその左に真横に肩がふれ合う程度に並んで松谷方面に向け歩行中、一台の自動車(ブルーバード)が被害者等を追い抜いて松谷方面に進行したのを見て、とめて同乗させてもらえばよかつた等と話し合つた後、間もなく被告人運転の自動車がさきに通過した自動車よりも一段と高い音を立てて接近して来ているのに、被害者はその車との距離を確めることもなく突然小走りで道路中央線を越え前記接触地点に出た際、被告人の自動車と接触したものであること、しかして被害者が右の如く道路中央付近に出て行つたことは同伴者の西井も倒れている被害者を見るまで気づかなかつた程瞬間的な出来事であつたこと(尤もこの点につき検察官は被害者が後を見ながら普通の速度で歩いて中央に出たものとして論理を展開させているけれども、これを認める証拠はないのみならず、検察官主張の如く被害者が被告人の自動車を見ながら出たものとすれば、間近に迫つた自動車を見て危険を感じ直ちに進出を中止するか後退するのが当然であり、検察官の右推測はそれ自体矛盾を包蔵しているものと思料する。)

以上認定の諸状況からすれば、被害者が道路中央に小走りで出たのは瞬間的の出来事であるが、被告人は直ちにこれを発見し、前記の如く急停車等適宜の措置をとつているのであるから、検察官主張の如く被告人が漫然運転をしていた不注意があつたものということはできず、他に被害者等に対する注視義務を怠つたことを認め得る証拠はない。

そこで被告人が被害者等を追い抜くに際し被害者等と一米位の間隔を保ち時速約四〇粁で道路左側中央部分を進行して通過しようとしたことに過失があるかどうかが問題となるところであるが、安全運転義務といえども当時の客観状況からの合理的に予測できない突発事態にまで対処できるよう万全の注意を要求するものとは解せられないところ、被害者等はいずれも分別盛りの年輩の婦人で道路右端を進行し格別道路中央に出てくる気配もなかつたので、被告人は被害者等はそのまま直進するものと信じて、被害者が自車の進路に突然走り出ることをも予測しこれに対処できるよう徐行運転をしなかつたことをもつて注意義務に違反したものということはできない。したがつて前記の如き道路の端の路面の状況その他前記諸事情を合せ考えるときは被告人のとつた前記行為にはしかく非難されるべき点はないものといわねばならない。以上の理由から本件事故はもつぱら被害者が接近してくる自動車に注意することなく突然その進路に走り出たことに基因するもので被告人には業務上の過失はなかつたものというべきである。

よつて本件は結局犯罪の証明がないことに帰するから刑事訴訟法第三三六条により無罪の言渡をなすべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 阿座上遜)

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